雨の指の

文章の練習。チェコを中心に、映画、美術、音楽のこと。

『野火』雑感

 今年最初に観た映画は塚本晋也監督の2015年の作品『野火』だった。公開時比較的評判が良かったのと、去年大岡昇平の小説を読んで魅了されたので。

 ジャングルを彷徨う兵士の、死の間際で極端に引き伸ばされた時間――南国の濃密な自然のなか、四方を死に取り囲まれながら営まれる奇妙に間延びした生活によって先鋭化してゆく狂気と「垂れ下がる神」への実感が、あの小説のコアだと個人的には思っている。だが映画のフォーカスはむしろ大量死と暴力の狂気を描くほうにあったらしい。どぎついスプラッタとテレビ的な紋切型の自然描写、くろぐろとした顔にぎょろりと目を見開いた男たちの追い詰められた顔が、短いショットでテンポよく繋げられている。個人的にはタル・ベーラ並みの長回しのほうがあの小説に相応しいと思っていたので、最初の30分くらいずっと違和感でむずむずしていた。

 小説の筋を追ってはいるが、むしろ南方戦線一般にまつわる残虐のイメージを忠実に映像化したものと捉えた方がいいかもしれない。物語の中盤に入る原野での大虐殺シーンは、ほとんど豪奢と言っていいほどのものだ。特に死んだ男の頭からぶちまけられた脳漿を唐突に別の男の足が踏み潰す、なんてシーンは、こう言っては何だけれど実に格好いい――この虐殺シーンの、いかにもスプラッタ映画的な格好良さゆえにこれは「反戦映画」たりえないなという気がする。スプラッタ映画は見世物として消費されすぎた。それが「反戦」のメッセージたりえるのは、相当ナイーヴな精神に対してだけだろう。

 ひとつ興味深いのは、この映画に登場する兵士たちが実に現代的な佇まいをしていたことだ。冒頭で田村を殴りつけてジャングルへ放っぽりだす上官は、髪も短く切りそろえ、ひげも剃り、よく太り、若く、声も甲高く、なんだかその辺の飲食店バイトのチーフみたいだ。組織が破たんしてゆく中で人間性がとことん軽んじられるという場面は現代日本でも決して珍しいわけではない。部下に死を強要する上官の姿に、後輩を殴りつけ「死ぬまで働け」と恫喝するブラックバイトのチーフが重なり合う。この映画はたんに「過去」を描いているわけではないのだ。

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