雨の指の

文章の練習。チェコを中心に、映画、美術、音楽のこと。

ミハルについて

 ミハルはコラージュを作っている。多くのイメージがふり積もり、押し固められ、鉱石になったようなコラージュ。本人の見た目はハンガリー映画『ヴェルクマイスター・ハーモニー』の主人公ヴァルシュカに似ている。ひとつの時代が崩壊するときに、彼がプラハの旧市街広場でクジラと出会うようなことがあっても、たしかに不思議には思わない。

 その日のプルゼニは重苦しい曇り空で、共和国広場ではモトルカーシ(バイク乗り)の大柄な男たちが集まってなにか愛国主義的なことを叫んでいる。そこから少し離れたバスターミナルのそば、古ぼけたアパートが並ぶ寂しい地区の一角にヤブロニ(林檎)というちいさなイヴェントスペースがあって、そこで彼のコラージュが展示されていた。とても落ち着いた美しい空間で、あざやかな青や黄色の壁に作品がよく映えている。カウンターに立っている優しいまなざしの女性に「ミハルは来ていますか?」と尋ねたら、もう少ししたら戻ってくるよ、飲み物はいかが? という。カプチーノを頼んで窓際の椅子に座り、そばの本棚から小さな紫色の本を手にとる。韓国の詩人の本をチェコ語訳したものだった。カプチーノはなかなか来ない。先ほどの女性が来て、機械がうまく動かないのでもうすこし待ってほしいと言う。

 ミハルが数人の友人と一緒にやって来る。ときどきメールをやり取りしていたが顔を合わせるのは初めてだ。かれは日本の茶器や掛け軸を買う時に、日本語の箱書きや裏書きの意味をわたしに尋ねてくることがあった。ポートフォリオと大量の作品の現物を机の上に広げて見せてくれる。「ひとつえらんで、プレゼントだよ」と言う。わたしが選んだのは富士山と老女のイメージが含まれた、青と灰色の調和が目を引く一枚で、「これ、自分でもすごく気に入っているんだ」と言いながらミハルは裏側にサインを入れ、加えてなぜか英語でDear Haruka, How are you?と書き添えた。

 17時からのヴェルニサージュで詩の朗読と即興演奏のパフォーマンスをしたのは、ヤヌスと名乗る老人と二人の若者だった。みんな絵本の中からやってきたような色鮮やかな服を着て、若者の一人はガスマスクを、ヤヌス氏は金色の紙を貼った筒状の帽子をかぶっている。客のひとりから「ミステル・ヤン・フス!」という声が飛び、老人は「俺はミステル・ヤヌスだよ!」と返す。そこで初めて、金の帽子はフスが火刑の時に被らされた帽子のパロディだと思いいたる。悪魔と畜生の痩せた影が描かれた、呪われた白い紙帽子。

 ヤヌス氏一座の公演は果てしなく続き、ミハルはたまに飛び込んでいって、エレキギターを鳴らしながら詩を読み上げる。パフォーマンスとしてはちょっとぎこちなくて、ギターの演奏はとても下手だ。わたしたちとは反対側のテーブルに集まってにぎやかに話していた若者たちの中から、坊主頭の男の子がひとり飛び出して、「5分だけちょうだい!」と言って非の打ち所のないマウスパーカッションを披露する。「彼は本当に人間?」と彼のそばにいた女の子に聞くと「いや、機械だろうね!」と真顔で返事をされる。「ところで、あなたがどこからきたのか聞いてもいい?」彼女の話す英語は流暢なアメリカン・アクセントで、スラヴ訛りがまったくない。「日本から来たの。留学生で、チェコ語を勉強してる。あなたは?」「わたしはチェコ人」「ほんとに? 発音完璧じゃん、最初チェコ人だと思わなかった」「ありがと! 思いっきりアメリカ英語でちょっと恥ずかしいんだけどね」彼女はチェコの外から来た人間をヤブロニで見たのは初めてだと言い、こういう場所も楽しんでもらえたらいいんだけれど、と少しはにかんでいた。

 ミハルとかれの友人フランチシェクと一緒に3人でヤブロニを出て、酒を飲むところを探して旧市街へ向かう。「ぼくは何でも拾うんだ」とミハルはつたない英語で話す(わたしがチェコ語を話すときに緊張していて、英語を話すときのほうがリラックスしているように見えるというので、どうやら気を遣わせてしまったらしい)。「このボールペンも拾ったものだし、家だって拾ったんだよ。森の中を散歩していたらすごく良い感じの小屋があって、ああここに住みたいな、って思ったから、持ち主を探し出して交渉したんだ。年間6000コルナで貸してもらってる」「6000? クソ安いな!」とフランチシェクが笑う。

 日曜日の夜なので開いている店は少ない。広場のそばの大きなクラブに入り、ミハルはピルスナーを、わたしはコーラを注文する。ミハルはとてもうれしそうに「ハルカ、ぼくにはきみがすごく美しい着物を着ているところが見えるよ。可笑しいかもしれないけれど、ぼくはときどきそういうものが見えるんだ」と言う。わたしが東洋のイメージをまとってしまうのはたんにわたしの見かけとチェコ語のまずさのせいだし、それはたぶんとてもシンプルなオリエンタリズムなのだが、それでもミハルにとっては魔術的なものに違いなかったのだろうと思う。

 それからミハルはだぶだぶのズボンのポケットからちいさな石を取り出す。黒く細長く、ちょうど手の中におさまる大きさで、真ん中のあたりにごつごつとした窪みがあった。それは見ようによっては、おそろしく小さく精緻に彫られた石像のようでもあった。全体を覆う細かな黒水晶が、星がまたたくようにきらきらと光っている。

「これはものすごく古い木だよ。プラハの森の中で、こんなに大きい木が地面に倒れていたんだ」

 ミハルはその石化した木のかけらを、静かにわたしの手のひらに握らせた。

 プラハでの生活を終えるまで、その石はずっとわたしの上着の右のポケットに入っていた。心細いことがあるたびに石を取り出し、街明かりを映してきらきらと光るのを眺めながら、石化した巨木の横たわる古い森を思った。

 

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自我の未確立とその影響

ほとんど半年ぶりのブログ更新が長々とした自分語りというのもどうなのかとは思うけれど、自分のことについて、これまであまり考えたことのなかった長期的な問題を自覚し始めているので、ちょっと書きとめておこうと思う。

わたしは元来、非常に他者依存的な性格である。他人からの評価をいつも気にし、下に見られること、対立することを恐れている。そして自分に自信がない上に見栄を張りがちなところがあって、自分とかかわりのある人たちに、自分がほんとうは何もできないつまらない人間であることが露呈してしまうのではないのかと、毎日不安に押しつぶされそうになっている。

 そう。わたしは自分が何もできないつまらない人間であると思っていて、そのことにほとんど耐えがたい苦痛を感じている。子どもの頃から絵や音楽、映画やアニメーションなどの文化的な活動が大好きだった。しかし自分でパフォーマンスをおこなったり、作品を完成させる経験には乏しかった。学部生の頃からアートNPOやバンド活動に出入りしていたけれど、いつも何年も経たないうちにやめてしまうのだった。わたしの人生はもはや、つくりかけで放り出したものごとでいっぱいになっていて、いまのわたしは結局、何かを作り上げてひとに見せられるほどの技術も根気も持たない、無能な人間のままである。

 どのような活動であっても、続けてゆくと何かしらの嫌な思いや困難に直面することがある。わたしの場合、それは一緒に活動を行っている人々に関する不信であることが多かった。他人の眼差しを過剰に意識してしまう性格とあいまって、わたしは先輩や同僚に対してとても愛想よく従順に接する。しかし何かのきかっけで、彼らに対する不信感や反発を感じた時、そこで突然、冷めてしまうのだ。相手を嫌いになるわけではない、怒るわけでもない、とにかく冷めてしまう。相手に自分の違和感を伝えることはない。ただずるずると連絡を取らなくなったり、体調不良を理由に脱退したり、あるいは単純に足が遠のいたり、そういったことになる。

 本当に自分のやっている活動に熱意を持って取り組んでいるのなら、このような対人関係や感情の変化にも折り合いをつけて続けていこうとしたはずである。しかしわたしはそうしなかった。なぜか。おそらくわたしの関心の向かう先が、活動そのものではなく、ただひたすらに「人からの眼差し」に向いていたということなのではないかと思う。もっと正確に言えば、活動そのものへの熱意が知らず知らずのうちに「まわりの人と仲良くやっていきたい」という意識に置き換わっていってしまっていたのだ。こうした状況の中で人に対して何か不信を感じた時、「この人はわたしの思っていたような人ではなかった」あるいは「もしかしたらこの人は私のことを良く思っていないのかもしれない」と考える瞬間がおとずれたとき、すべてがどうでもよくなってしまい、活動それ自体が重荷になってゆくのだった。

 わたしは、活動を続けていくなかでこのように本末が転倒してしまうことに、長い間まったく気が付いていなかった。だから、あれほど楽しんでいたはずの活動がどうして最終的に苦痛になってしまうのか、自分でも理解が出来なかったのだ。ようやく理解したのは最近のこと、留学生活の中で困難に直面してからのことだ。

チェコで暮らして9か月あまりが過ぎたが、チェコ語が思ったように上達せず、会話によるコミュニケーションがまだ満足にとれない。それなりに扱える英語もまた、話す相手によってはほとんど聞き取れないことがある。おそらくはまだ学習量そのものが足りていないということなのだが、もはや学習自体が苦痛になってしまっていて、量もこなせない、という悪循環に絡め取られている。そこで、あれほど望んでいた留学がどうしてこんなに苦痛になってしまったのかと考え始め、ふと気が付いたのだった。自分の頭を占めているのが「チェコに1年もいて言葉を習得できていないなんて、研究者仲間や先生方に知られたらどんなにか冷ややかな目を向けられるだろう」そして「わたしのたどたどしい現地語に対応させられる人たちはきっとうんざりしているのではないか」「こちらの言葉の不完全さをみな腹の底では莫迦にしているにちがいない」という、他者からの眼差しに関する不安であるということに。その不安こそがわたしのモチベーションを脅かしているということに。

この不安に根拠があるかないかはまた別の問題として、重要なのは、ここでもまた目的の転倒が起こっているということだ。わたしは自分の研究のため、もっといえば自分自身の視野を広げるためにチェコ語を学び始めたはずなのに、いつのまにかそれが他者からの評価、もっといえば他者との協調の問題に置き換えられてしまっている。

そして先に書いたように、この転倒は、わたしは気が付かなかっただけで、ずっと以前から繰り返し起きていることなのだった。ここでわたしが抱えているのは、肥大化した承認欲求といったものとは少し違うように思う。むしろ「わたしとあなたが互いに認め合う」という理想的な関係性を全方向に求め、その維持に異様にこだわるような心性だ。なので、相手から承認されないという時だけではなく、自分が相手を承認できなくなった時にもまた、モチベーションが脅かされることになる。

いずれにせよ、他人との関係性が他のすべてを押し流す人生のテーマになってしまい、結果として私自身のやりたいことを実現させる、あるいは自分の居場所を定めるということができないままになっていたのだ。

おそらく自我の確立が出来ていないのだろうと思う。はてなハイクに「他人と自分の区別がつかない」と書き続けていた頃からその自覚はあったのだが、自分の人生にここまではっきりとした影響をもたらしていることには気が付いていなかった。ただ、今こうして自我の未確立とその影響に気が付いたということは、何かの区切りになるような気がしている。

ペドファイルがまっとうに生きるということ――ドキュメンタリー映画『ダニエルの世界』

チェコ・テレビ制作のドキュメンタリー映画『ダニエルの世界』(原題:Danielův svět、ヴェロニカ・リシュコヴァー監督、2014年)を観に、ヴァーツラフ広場にほど近い映画館キノ・スヴィェトゾルに足を運ぶ。

 


Danielův svět / Daniel's World - YouTube

 

ダニエルは25歳のチェコ人の青年。小学校低学年に相当する年齢の男児にしか性的魅力を感じないペドファイルで、プラハの文学アカデミーに通いながら詩や小説、戯曲を書いている。彼の性的志向を知っているのは、母親とごく身近な友人たち、セクソロジストの主治医、そしてインターネットで知り合った小児性愛者のコミュニティ。

彼はある友人の幼い息子ミーシャに恋心を抱いている。「ただ、少し年上の良き友人でありたいだけなんだ」とダニエルは言う。この友人が「もしかして同性愛者なのか?」と尋ねてきた時、ダニエルは自分がペドファイルであることとミーシャへの恋心を打ち明けた。友人の返事はこうだった「お前がこれまで通りうちに遊びに来てくれれば、いつだって歓迎するよ。でも、万が一息子に手を出したら、俺はお前の腕を折るからな」。ダニエルは「そんなことは絶対にありえない」と答えた。

 

ペドファイルとして生きるということは、単に自らの性的嗜好を他人に隠さなければならない、というだけの問題ではない。相手に対して自らの恋心を表明すること、愛し合ったりセックスをすることが不可能であり、そしてみずからの愛した相手と家庭を持つ道が根本的に閉ざされているということだ。チェコでは日本に比べてずっと奔放なセックスの文化があるが、そうした風土でペドファイルが日々少なからぬプレッシャーを受けているであろうことも想像に難くない。「性的満足を得られることが絶対にないんだろ?」と問いかける友人に、ダニエルは冗談をかえす。「そんなの、右手があれば足りるよ。ちょっと変わったことをしたかったら左手を使えばいい」

それでも子供たちを大切にして生きていきたい、というのがダニエルの希望だ。子供に笑いかけたり、目を合わすことにすら罪悪感を抱いてしまっていたダニエルは、たとえペドファイルであっても他の人と同じように子供たちに接し、愛するミーシャの良き友人でありたいと願うようになる。それはまた、彼自身がみずからのありかたを肯定する唯一の方法であったろう。その希望を胸に、ダニエルはペドファイルの仲間たち数人とともにLGBTパレードPrague prideに参加する。「"カミングアウト"するのは同性愛者だけじゃない」という白黒のシンプルな、すこし謎めいたフラッグを掲げて、賑々しいパレードの後ろをひっそりと行く。

 

ミーシャと彼の家族は、「カミングアウト」の後しばらく連絡が取れなくなったものの、最終的に以前と変わらずダニエルを受け入れてくれた。国際会議で講演の席に立ったダニエルは語る「どうかチェコの人々に、ペドファイルもまた子供たちの味方であると知ってほしいのです」。

Paavoharju/パーヴォハルユ - 冬と憂鬱と北欧アンビエント

プラハにも本格的な冬が到来した。雪が降り、トラムが止まり、街の木々が凍りつく。とにかくまったく日が射さないのが瀬戸内育ちの人間としてはつらく、11月中旬ぐらいからひどく憂鬱な気分で日々を過ごしていた。その時延々と聞いていたのが、フィンランドアンビエント・ユニットPaavoharju(パーヴォハルユ)だ。チェコのラジオ放送局Radio Waveを聞いていてたまたま目に留まったユニットで、2008年のアルバムLaulu Laakson Kukista*1をリピートしながらトラムに乗ったり部屋で勉強したりしていた

 

穏やかなノイズの底から、ゆらめく歌声と美麗なメロディが立ちのぼり、薄紙のように丁寧に折り重ねられてゆく。その深々とした音のながれが、ふさいだ気持ちにちょうど耳で聞くトランキライザーのように作用する。

 


Paavoharju - Kevätrumpu - YouTube

アルバムの2曲目。ポップで祝祭的なビートが印象的だ。

 

Paavoharjuはフィンランド南東部の都市サヴォンリンナを拠点として活動するグループで、2005年にアルバムYhä hämärääでデビューした。Lauri AinalaとOlli Ainalaの兄弟を中心に、いまは13人ほどのアンサンブルになっているという。デビュー当時の所属レーベルのプレスリリースには「禁欲的クリスティアニズムのプロジェクト」と書かれているので、もしかしたらコンセプトとしては現代の宗教音楽なのかもしれない。たしかにspiritual*2というか、永続的な存在にささげられた音楽、という感じはする。

 

そんな彼らは2013年に新しいアルバムをリリースしている。ヴィデオがYoutubeで視聴できる。


Paavoharju: Patsaatkin kuolevat (Official video) - YouTube

く、暗い…。2008年の繊細な音の重なりはそのままに、ダークウェイヴというかゴスっぽい方向に展開したように聞こえる。ラッパーであるPaperi Tの参加によるところが大きいのかもしれない。

*1:google翻訳にかけると、英訳としてSongs of Valley Flowersというのが返ってきた。「谷間に咲く花々の歌」といったところだろうか。

*2:関係ないけど、日本語でスピリチュアルというとひどく商売くさく響いてしまうのがいやだな

【映画覚書】大学の講座と、アンドレイ・タルコフスキー『鏡』

大学で「シュルレアリスムと中・東欧映画」という留学生向けの講座を取っている。毎週一本映画を観て英語でディスカッションするというもので、ブニュエルシュヴァンクマイエルなど定番ともいえる監督の作品から、運動としてのシュルレアリスムとは関係がなくてもシュルレアリスムのアイディアを通して検討できそうな映画まで幅広く扱う。

英語でコミュニケートするのに慣れてない上に多種多様な訛りが飛び交うので、ときどき議論を追えなくなったり、質問を聞き違えて頓珍漢な発言をかまてしまったりするのだけれど、外国語の闊達なやり取りを追いかけるだけでも得るものが多く、楽しくやっている。講師のリチャードが毎週送ってくる参考文献や連絡事項のメールがシュルレアリスムっていうか中二病なのもかなり好感度高い。書き出しがDear Dead-Eyed Dummies, って、なにごとなの。*1あと、この前の飲み会で一緒になった学生2人がずっと麻薬の話をしていたときは、さすがにどう話に参加すればいいのかまったくわからなかった。そりゃあこっちでは大麻は合法だけど、LSDはまずくない?

 

今週のネタはタルコフスキーの『鏡』(原題 "ЗЕРКАЛО", 1975年)だった。タルコフスキー自身をモデルとしたある男「アリョーシャ」の個人史とロシア史が共鳴するおそろしく内容の濃い映画で、しかも時系列とは関係なく映像が展開してゆくので、正直もう2回くらい観ないと消化できないような気がするが、とりあえず書きとめておこう。

幼いころに暮らしていた山小屋と森。1935年、隣家が火災に見舞われた、その翌日にいなくなった父親。けっして笑うことのない、情緒の不安定な母親。みずからの家族史の鏡像を結ぶかのように、主人公は妻と離婚し、息子に拒絶される。妻を苦しませたことへの悔恨は、母の人生を壊してしまったことへの悔恨へと溶け合い、病の床に臥しながら、彼は過去と現在を絶え間なく往還する。

母=妻を演じるマルガリータ・テレホワの、神経症的な表情のゆらぎ、不穏な緊張感をたたえた美しい眼差しが印象に残る。ディスカッションの中で、この母親はコミュニケーション不可能な、そうであるがゆえに崇高な存在として描かれている、という指摘をした学生がいた。鏡を挟んで循環する眼差し、永遠に回帰する悲しみのただなかで、それでもアリョーシャが最後に救われるのは、その崇高さを通して母親を受け入れたからなんだろうか。

 

来週がわたしがファシリテーター役の当番で、ヴァレリアン・ボロヴズィックの『ブランシェ』を取り扱う。ひとつづきのシークエンスを選んで、ディスカッションのための問題を立てなくてはいけない。恥ずかしながらわたしは名前しか知らなかった監督だけれど、シュレアリスムと映画の関係を包括的に取り扱った英文の良著Surrealism and Cinemaで取り上げられている。この本持って来ておいてよかったなあ。週末はこれと語学の宿題に費やす。

 

Surrealism And Cinema

Surrealism And Cinema

 

 

*1:たぶんシュヴァンクマイエルの時の「操作」概念がらみのジョーク。

Jack White Live @ Forum Karlín 13.10.2014

もう3日前のことになるが、プラハ8区のForum Karlínで行われたジャック・ホワイトのライヴに行ってきた。

ザ・ホワイト・ストライプスを聴き始めたのが『エレファント』が出たすこし後だから、ジャックのことはちょうど10年追っていることになる。彼のレーベルから出ている種々の限定レコードを集めてるわけでもないし、最近は音楽雑誌さえ買わない、いたって怠惰なファンなのだが、それでも彼の作品が大好きだ。プリミティヴでありながら恐るべきひろがりを持つ楽曲群、20世紀初頭のテイストを取り入れたクラシカルなアートワーク!


Jack White - Would You Fight For My Love? - YouTube

2012年にフジロックに出演して以来――わたしはこの時もチェコにいた――単独来日公演を待ち望んでいたのだけれど、今回たまたまわたしのプラハ行きが決まった後に欧州ツアーがアナウンスされ、狂喜してチケットを取ってしまった。

「カルリーンのあたりは夜怖いよ、地下鉄の駅に強盗団が出るよ」などと、出がけに同居人におどかされつつおっかなびっくり向かったForum Karlínだが、ハコ自体は最近できたばかりのきれいなホールだ。開演前はチェコ語しか聞こえなかったので、オーディエンスのほとんどは地元の人々だろう。面白かったのは60歳台くらいの人がかなり多く見受けられたこと。スキニージーンズをびちっと穿いて黒い革ジャンを羽織ったパティ・スミスみたいなおばあちゃんがとても格好良かった。プラハの春世代である。チェコスロヴァキア民主化革命「ビロード革命」(そういえば明日が記念日だ、11月17日)の名が実はヴェルヴェット・アンダーグラウンドにちなむという話もあるくらいだから、ロックに特別な思い入れのあるお年寄りが多いのは想像がつく。が、それにしても2000年代のロックまでフォローしつづけているというのは凄い。

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Live Photos | Jack White

Photo: DAVID JAMES SWANSON

ジャック・ホワイトのライヴは美しかった。彼の音楽が美しいのは、降るような轟音と激しい歌声の奥底に、つねに厳格な冷静さを秘めているからだ。あれだけ情熱的なパフォーマンスをしながら、ドラムやギターをこれでもかと打ち鳴らしながら、それでもバンドは「一糸乱れぬ」とでも表現するべき統率を失うことがない。プロフェッショナルの冷徹さだ。思えば、ガレージロック・リヴァイヴァルと呼ばれたザ・ホワイト・ストライプスの魅力はアマチュア的な衝動だった(と思われていた)はずだ。このひとはもう、ずいぶん遠くまでやって来た。「セブン・ネイション・アーミー」の、誰もがすぐに合唱できてしまう、単純で力強いリフとともに、このひとはこんなところまでやって来たのだ。

だからこそ、願わくば。23時まで続いたライヴのラスト、Good night, Prague! と叫ぶ彼に拍手を送りながら、いつか彼がHello, Japanと呼びかけるのを聴きたい! と思わずにはいられなかった。わたしはプラハが大好きだけれど、プラハに根を張る人間ではないから。

  

ところで、今回のライヴではニューヨークのバンド、ルシウスが前座を務めていた。


Lucius - Turn It Around [Official Video] - YouTube


Lucius - Tempest (official stream) - YouTube

2011年に結成された、ちょっとアーケード・ファイアを思わせるところもあるオルタナ・ポップ・バンド。パワフルなパフォーマンスで、こちらもたいへん楽しかった。

 

 

【映画覚書】The Reincarnation of Peter Proud

特に理由はないのだけれど、ここしばらく人間嫌いともいうべき気分にさいなまれている。人に会いたくないし、SNSで言葉も交わしたくない。だからすこしそういったことから撤退して1日中映画を観ていた。何もしないで寝ているよりはずっといい。英語のヒアリングにもなる。

観たものに関して少しメモをつけておくともっといいのかもしれない、と思って、はてなブログを始める。2年くらい放置したままのダイアリーもあるんだけれど。うまくこちらが続きそうなら、あちらもそのうちサルベージしよう。とにかく文章を書かないと少しずつ頭が腐っていきそうな、そういう気分でいる。

 

J・リー・トンプソン監督『ピーター・プラウドの転生』The Reincarnation of Peter Proud (1975)

大学教授のピーター・プラウドは奇妙な夢に悩まされている。自分が知らない誰かになり、美しい教会や橋のある見知らぬ街で、妻子とともに暮らす夢。真夜中、湖で裸で泳いでいるとき、妻がボートでやってくる。夢の中の自分は妻に何事かを謝罪している。「愛しているよ、本当に申し訳なかった。僕は酔っていて何をしたか覚えていないんだ」妻は答える「かまわないのよ、どうぞ上がってきて」彼は水から上がってボートに乗り込もうとするが、しかし次の瞬間、妻がオールを振り上げて、彼の頭を滅多打ちにする。彼は血も凍るような悲鳴を上げて死ぬ、遺体は水底深く沈んでゆく。夢はいつもそこで終わる。

精神科医に話をしてもらちが明かない、彼は夢を専門に研究している心理学者のところへ向かい、脳波の検査を受けるが、結果は「夢を見ているわけではない」とのこと。心理学者は言う「何らかの幻覚か、あるいは超自然的な現象が関わっているかもしれない」。

そのうち、ピーターは自分が何者かの生まれ変わりではないかと考えるようになる。夢に出てきた橋、教会、家屋を探して回るうち、マサチューセッツスプリングフィールドに全く同じ建築を発見する。そこでは30年前、テニスのうまい裕福な男ジェフ・カーティスが、夜の水泳の最中に溺死していた。妻と幼い子を残して。ピーターは彼が自分の前世の姿であると確信する。

スプリングフィールドには、カーティスの遺された妻と娘がまだ暮らしていた。ピーターは二人に会い、成長した娘のアンと恋に落ちてしまう。一方母親のマルシアの方は、自分が殺した夫を思わせるピーターを前に、徐々に精神のバランスを崩してゆく。

夢の中に登場する独特の形をした教会や家屋がほんとに美しい。無駄にテンポの遅い編集と相まって、観光映画のように見えてくる。夢に出てきた建物を探して街から街へ、彼女と喧嘩しながら放浪するシーンはずいぶん退屈。ピーター(マイケル・サラザン)はあまり頭の鋭い感じじゃなくて、どうも大学教授には見えない。